ログハウスのことならビックボックスにお任せください!ミニログやフィンランドハウスなど、素敵なログハウスをご提供いたします。
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こだわりの人。
株式会社ビックボックス会長
須田和男 解剖
ビックボックスの会長、須田和男はもしかしたら日本一ログハウスを愛している男かもしれない。
というより生きることを楽しむ達人かもしれない。


●アーティスト活動
アーティストとしての須田和男は、ひとつの領域に留まらない。
彼の手にかかれば、生活も仕事も遊びもすべてアートになってしまう。
芸術とはそういうものらしい。

油絵に始まり、あらゆる絵画、書、オブジェ、俳句、エッセイ… とアーティストとして自由に表現活動を行う。
古典芸術を経て辿り着くオリジナルアートは、多くのファンを魅了してやまない。



●ガーデナー生活
ガーデニングはすでに趣味の領域を超えてしまった。
数十種類のオールドイングリッシュローズの庭は、ここが日本であることを忘れさせてしまう魔法の庭だ。
写真も自ら撮影。


●対談
寺門征男教授は住居学の権威で、日本国内に留まらず世界の住まいを研究している。
房総の台宿にも住宅を持たれ、ログハウスに住まわれている。
今日は久しぶりに教授の研究室を訪れた。
須田
教授、お変わりありませんか、今日も話がはずんで時間を忘れてしまいそうです。

寺門
そうですね(笑)。最近よくギリシャに行くのですが、あちらはテラスがメインの住居で、実に豊かですね。
日本では皆さん、住居を持とうと頑張っているのですが、オリジナリティーがどうもいまひとつのような気がします。
少し、消費経済に毒されていると言いますか、 メーカー主導のパッケージ住宅をお買いになって、その中だけが住居と思い込んでいるようです。

須田
時々お客様がお建てになる現場に行って思うのですが、 林や住宅地などその環境をじっと見入っていますと、 建築の家以前にその環境そのものが建築だと思えてくるのです。

寺門
そうです。
住まいを持つということは環境そのもの、ある意味でライフスタイルの転換です。
特にメーカーが先端だハイテク強制換気だのと新建材やシステムの開発をしますが、 創造の原点はアナログでしかありえませんので、結局は環境ホルモン、アトピーなどの問題が次々と出てくるのです。
ほら、ダヴィンチがそうでしょ、すべて自然から学ぶべきなのです。
須田さんが求める建築や芸術も同じですよね。

須田
確かに一般住宅は消費させるための車のモデルチェンジと同じようなところがあります。
いつの時代にも先端を良しとしますから、5年後に新しいモデルが出た時には、 マテリアルからデザインまでその住宅は陳腐に見えてきます。
その点手前みそですが、弊社のログハウスは、はやりすたりがないのです(笑)。
ですから、ログハウスやフィンランドハウスをお建ていただいたお客様は、 一様に自分のお家に誇りと自信が持てるみたいです。

寺門
変な話をしますが、 あるところの陸橋の下にホームレスさんがいろいろな段ボールなど廃材を集めて、 自分が住みやすいように巣作りをしているのです。
住居学の専門の立場で観察をしている訳ですが、最近では庭木や草花も植えだしたんです。
環境計画からすべてが手作りのオリジナリティーがそこにはあるんですね。
メーカーから予算に合わせて家を買い、壁の中だけが住居と考えている人から比べると豊かさを感じます。

須田
教授、豊かな住まい造りのコツとして何かありますか。

寺門
価値というのは代替できませんから、良かれと思ったところにこだわることです。
自分の個性にあった環境を作り、自分でそこに価値を見い出すことです。

須田
確かに感動は与えられるものではなく、自分でアクションすることではじめて価値も感動も得られるわけですね。
生活というのは生きる喜びのはずですから、感性を磨いていい感動をしたいものです。

住いと環境についてふたりの話は、尽きそうにない。



●空間紀行
ビックボックス会長と、アーティストとして、一人の小さきものとしての静かな視点。
人生を旅する喜びと哀感がある。


ある舞踏家への手紙
舞踏家Sさんは自己の踊りをちっぽけな存在という、 使命の大きさを自らに課す謙虚な人である。
仕事でも芸術でも事の重大さや奥深さを知って それに立ち向かおうとする人は成し得ようとする事の大きさから ちっぽけに小さく見えるのである。
そして一様に真正面にきちんと向いて正座しているのである。
それは、とむらいで見送られる死人の神々しさに似ている。

上演が終わって少ない会話をした時じっと目を見ると すーと流れでる涙は、 Sさんの背負う十字架の大きさを感じるのである。
Sさんはそんな数少ない人に思える。

ここまで書くと自分も自然に涙が出とまらないのである。

S様

先日の舞踏 楽しく見せていただきました。
よいと思います。

小寒い日でしたが舞台ではひたひたと 足の指の筋などキーンとなりませんでしたでしょうか。
幽玄で静かで冷たい舞台に それだけで私 凡夫には凄まじく感動でした。

月1回1年間 創作舞踏を自ら造りそしてソロでの上演、実に 偉いと思います。
そうそう数ヶ月前の県文センターの舞台もSさん群を抜いて 光って見えました。

今回のSさんソロの踊りとなると、Sさんの踊りを見たくなります。
見させていただき、よいと思うのですが。
できればSさんにだけしかできない踊りをとことん見たいような気がします。

「何か、なんでも一言」 感想をメールでということでしたので すこし感じたことを送ります。

私、クラシックバレーや古典日本舞踊、ヒップホップやレゲトンなど 踊りという踊りをわけ隔てなく興味を持って見るのですが、 人の所作というのはそれだけでいいですよね。

犬のぬいぐるみはそれまでですが、 あの微妙に予測のつかない生きている犬の動きは そのままでかけがえの無い素晴らしいものです。
何十万円もするロボットの動きから比べると 生きている犬は何百億円の舞踏体です。
奇妙な排泄からあくびまでします。
実に手の込んだ微妙な動きや声まで出します。
私達も、です。

今回のほの暗い明かり、舞踏の始まりの歩きは 心をざわざわ~とさせ感動でした。
意表をつく舞踏の感動は心をときめかせ沸かせますよね。

何年も前のこと 仕事の旅先 フィンランドでのことですが、
そう思うと意表をつく感動をハプニングというのでしょうか。
たまの休みの日曜、小雪のヘルシンキに戻り、 ホイヨス二エメンティエの先の鉛色に鈍く光る海岸の カラスタヤトッロッパに泊まった時のことです。
そこのホテルには大きな円柱状の年代物の木造レストランがあって、 アトリウム建築の先駆け、空間が吹き抜けになっています。

綺麗な骨と肉が一体になっているような 冬空の低い太陽からの光線がよく入る北欧らしい建物です。
昼下がりの2階の席でウェイターにワインを開けてもらい シイカという魚のソテーを食し、酒が弱いものですから OFFですっかりほっとして、ついついまどろんでいると、
突如、吹き抜けの下のフロアで 純白のウエディングドレスをなびかせ、 新婚カップルが風に吹かれてやって来たかのように 踊りながら入って来たのです。
そこここで拍手がわき起こりました。

その時流れているミュージックがサティーのジュテーブ(あなたが好き)、 冬日の北欧の松葉の匂い、 暖かい陽だまりの心に残るシーンです。

今回観客席から手を膝に置いて心構えして 舞踏の始まりを待っていたのですが、 思いのほかの意表をつく、歩きの始まり、 予測し得ないところに感動は倍加させるのでしょうか。
なんて、なんとも観客は傍観者で身勝手で天邪鬼(あまのじゃく)です。

「何か、なんでも一言」 でしたから、身勝手ですが。

そうそう、なにもないプリムティブな歩みから始まり いいないいなと思って見ていたのですが 途中、西洋クラシック的な 伸びやかな体の美しいラインの綺麗さがちょっと見えたりして、 それが構成の一つなのでしょうか。
そういう決めは無くても、、、そういう形を見たいのなら クラシックバレーで飽きるほど楽しめます。
前衛舞踏の創作にぞっこん力を入れるのであれば、 既成の観念的な舞踊舞踏の形はなくとも、、どうなのでしょうか。
既成の舞踊の様式や見慣れた形があってはならぬと思うのです。
それとも基本に西洋舞踏の素養下地がないと駄目なのでしょうか。
それがないと舞踏界では出鱈目と言われるのでしょうか。

私にはそれがかえって邪魔に見えてくるのです。

地球上に西洋クラシック的な素養が全くない民族舞踏は山程あります。
それぞれの世界に、国の宝的な舞踏家がいるはずです。
Sさんが目指す踊りは我々の文明のそれ以前の以降の在る無しの 人として土俗の土着の根源的な動きの あるいは既成や型や形態を排除した革新の 無意味とも思える前衛の舞踏にあるような気がするのです。

そのような舞踏の中でアカデミックな美しい動き、 この動き私にもできるのよ、基礎もしっかり出来ているのよみたいな 既成の形を見てしまうと、見ることの集中と興味を 一変に冷ますような気がするのです。

ドガは友人達に会うたびに新作の絵を見せ 「自分の絵になっているか」といつもいつも同じことを尋ねたという。

体が手足が伸びきらなくとも、 農耕でねじ曲がった節くれの肉体であっても そのメッセージの表現鍛錬によって感動が伝わり 素晴らしい舞踏があるような気がするのです。

伝統舞踊を継承したり、 新しい時代の発展的な伝統舞踊を工夫するわけもなく ポピュラーなエンターテイメントでもなく Sさんが目指すことは前衛ですので 先端で尖がったり、変幻で自由自在で魑魅魍魎で、もう大変、 まさに生きているそのもの、 いいですよねこの聖域。

なんだか身勝手にすみません。
先日の舞台の後のSさんの涙がよく解ります。
でもやりがいがありますよね、Sさん。

Sさんの舞踏は素晴らしいと思います。そのような気がするのです。
Sさんの情熱ですから、 もう全くよく見せようとする必要はないと思うのです。

クリスマスの前の公演また見せてください。
今度ログハウスれすとらんの こだわりの蕎麦がありますので 杉並木を飲みながら新しい年の7年の舞踏、 希望の話を聞かせてください。
寒い季節、心まで凍えそうになりますが 足の先からどうぞ暖められて 時おり是非是非、ご自身にご褒美とご自愛ください。
今度の公演また楽しみです。

冬草堂閑Q斎こと須田和男


五月の烏賊
金杉のアパートは静かな所で隣は竹の林であった。
アパートは白ペンキの建物で、基礎のところに生え出した 先の曲がった竹の子を拝借して、 干し貝柱を入れた竹の子飯を作った船橋の5月がある。
5月は若葉に萌え、 お腹にすくっとくる浮き立つ空気のぬるみと 葉はセルロイドのように太陽を緑に透かし 美しい、私の大好きな希望の季節でもある。

私は外食を好まず、昼間は営業の外交で仕方がないにしても 夜は深夜に帰ってもきまって自炊をした。
誰もが思い浮かべるサンプル品のような料理を 供されること事態がいやなうえ、 一人の食堂での夕飯は何ともわびしく、つまらないのである。
つね日頃の心の貧しさが増幅されるのか、 首がだんだんうなだれてひどく楽しくないのである。
それと事実、おざなりの具材での料理からは 盛り上がって来るときめき、よろこび、 栄養いっぱい的な豊かさがないのである。

つまみ上げる割り箸の先が いつの間にか料理の批評にかわり、 自分であればこれを取ってあれを入れてと 具材の入れ替えが次から次へと止めどないのである。
それがだんだんコップの音にテーブルに、インテリアに、 お店全体に、 すでに料理人からコーディネーターになっているのである。

隣のテーブルの子供の満面の笑顔にわが子をだぶらせ われに返るのである。
なにやら白いものがコップの水面に、 じっと目をやると三日月が映りゆれているのである。
この食の小さなクリエイティブな思考の余韻に 不思議に満たされて店をでる。

自炊のキッチンに立つとレシピは次から次へと 無尽蔵とは言わないが沸いてくるのである。
深夜12時を過ぎてもカレーを作りたいとなれば2時3時まで 平気の平左である。
牛筋を煮込んだ濃厚でこってり洋食カレーから サラリとしたスパイシーなアジアンカレーまで そのバリエーションのいい加減さには困ってしまうのだ。
50種類のカレーを作る自信はある。
単身赴任時、結局は冷蔵庫のストックと乾物食材を目で確かめて ひらめかせるのであるが、麦とピーナツのカレー、 するめとインゲンのカレー・・・などなど あるものだけで作る料理も実に楽しいものである。
ひらめいた食材と味覚の理想はあるにしても、 たまの休日にあれやこれやと買い集めて、さあ作るとなると 欲望の船旅に少々すでに疲れて、後ろめたさに似たような 妙な心持にもなるのである。

この時期あみ出した烏賊の塩辛のレシピを紹介したい。
これは私の全くのオリジナルレシピである。
途中経過が似ているとすればそれはプラトンが言うイデアで、 イデアとは真の実在、不変の真理であるからいろいろな所で 同じ様な方法が実在するのかもしれない。
烏賊の塩辛ごときで大げさで鼻持ちならない話であるが 是非是非お試しいただきたい。

1.手を石鹸でキレイに洗い水でキレイに流す。
  まな板はキレイに洗い包丁もキレイに洗う。

2.イカは新鮮なもの、わたを取り皮をむく。

3.イカの身の水分を抜く為に何枚ものキッチンペーパーにくるんで冷蔵庫の中で一晩かけイカの身の水分をぬく。

4.わたに塩で見えないくらいにたくさん振り、これも一晩かけて水分を抜く。
わたの水分がよく抜けるようにアルミホイルを洗濯板状に凸凹にしてわたが水に浸かった状態にしない。

5.脱水された身を適宜にきり、脱水されたわたをきれいな ペーパータオルで汚れた塩をぬぐい、わたを手でしごきな がら器にいれ身と混ぜ合わせる。

6.混ぜ合わせながら少し塩を足し好みの塩梅にする。
これを2日くらい寝かせると実に濃厚でぽってりとした生臭くないイカの香りのするおいしい塩辛ができあがる。

7.柚子の汁や皮はイカの香りを大切にしたいので入れない。

8.このままで実に美味しいのであるが、もっと美味しくするために、イカ一杯の塩辛あたり、ヨーグルト大匙半杯から1杯を入れる。
乳酸菌が程よく醗酵を促し、わたの脂肪と塩が練れ、たとえようもない旨さ請け合い。

この極上の烏賊の塩辛を食せば腹の中が幸福で浮かれ状態に、 少々の酒と薪ストーブとログハウスの中であれば 更に歓びは高みに昇り、心もちは極楽極楽である。


瑠璃色のカラス
窓の外を見ると
常夜灯の周りを虫たちが光りながら回っている。
静かな風景である。
これは千葉の船橋の展示場の窓からの眺めと同じ風景であった。
きまって木星と土星のように大型の惑星虫が 微塵の虫を従えキラララと回っている。
夏の夜の好きな風景である。
船橋は暑い。栃木と比べると随分と暑い。

私の船橋というのは単身赴任でのことで、 横浜の展示場ができるまでの約2年間であった。
営業からの深夜の家路、 何も用もなく意味がないのであるがコンビニに立ち寄ることが日課で、 へんてこに店内を一巡するのである。
誰もいないアパートにはダイレクトに帰れないのである。

船橋の夏見台の三軒屋のその先の金杉十字路のその先の 法音寺のその先の112番地の其の先の。
通りはもうすっかり静かで、 農家の屋敷の生垣からはその常夜灯に照らされて、 漆黒の闇夜に夏みかんが黄色くまぶしく、凛と光っている。
みずみずしいトパーズ色の香りさえ感じる。
虫の天体ショウーも深夜のコンビニも闇夜の夏みかんも これらを今思いおこすと小さな幸のことで、どんなことでも心しだいである。
今年ももうお盆が過ぎたが、 お盆のアパートはどこの部屋も明かりが無く 実に良いものとは言えないが、 扉にとまっている小さな蛾一つが特別のように思えてくる。
これも心しだいである。

あの頃、アパートでの夜更けは主に中国古典の唐や六朝の頃の 時代の臨書をした。
それは欧陽詢、虞世南、王羲之、猪遂良、顔真卿などの人たちのもので、 1400年もの昔の人たちとのお話の場でもある。
書の歴史上、中国ばかりではなく漢字文化国共通の超弩級の国宝で、 ほとんどが石に刻んだ碑文で、本物の紙オリジナルはそれぞれの時の皇帝達が 自らが崩御する時、棺にしっかり納めさせ黄泉の国に大切に持っていた程である。
その人たちが書いた碑文の拓本集を一文字一文字見ながら 文字を臨書するのである。
しみじみと眺めながら書きながらこれ以上のものがないと思うのである。
スーパー極上の物との対峙は精神を覚醒させる。
時空を超えたそうそうたる偉人たちとの出会いで、 私は勝手に幸せ者であった。
この時期偉人達と少しだけ一緒に暮らしたような妙な手ごたえがあるのである。
唐の時代に漢字の完成時に前記の偉人たちが漢字を書きまくったものだから もうその時代の後にそれ以上の楷書はないのである。
以降現代に至るまで、基本的に端正な楷書で勝負はもうできないのでありまして 世の書家達はふにゃふにゃとした文字で展覧会では勝負しているのである。
その頃の夜更けに書を習いながら作った俳句がある。

・ ゆく夏の網戸のそとの深い澪
・ 出勤にゆれ光るもの荒地野菊
・ ほおづきの血の管みれり生きねばと
・ 蛾一つたれ一人いぬ盆の扉
・ きれぎれに外にきこゆる夜の蝉
・ 虫の声慣れし漢字の墨の色ちがう

「お隣は孟宗竹の藪で風が吹くとカサカサと雨が降ると深い澪があるような、 そして虫たちが思い思いの歌を聞かせてくれるのである。じっと聞いていると いつもの墨なのに色のニュアンスが違って見えてくる。いただいた鬼灯を見ていると 葉脈が血管のように力強く見えてきて元気が出てくる。
途上、金杉あたりは畑や雑木林や荒地が、そこに一叢の薄ピンクの野菊がゆれている。」

たまの休日は朝方まで毛筆の臨書や作品つくりをした。
習志野の絵の友人一人に見てもらう為に アパートの部屋中に書を貼り巡らしにわか個展もした。
この朝方、黎明が、 人無し無言オペラでも見ているかのようで、 闇がいつの間にか那由他の星々で畑や竹林や屋根々々に 染入るように青紫に。
さまざまに少しずつ少しずつ形を現し 景色はそして、それぞれの色で弱いかすかな蛍光色を発して息づいてくる。
竹林の影に大きな青黒色の土蔵が現れ、 屋根には瑠璃色に輪郭が光るカラスが見える。

あの遠い日、金杉小学校の校庭のポンプ小屋のその裏の、隅の隅の背の高い草の その根元のクローバーの下で小さな小枝にとまって小さな虫が鳴いている。
想うが自在、時空も自在、淋理露路呂 淋理露路呂と鳴いている。



銀灰色の丸太小屋
もう何年も前のアジサイの咲く頃、フィンランドの取引先の奥さんのキリスティが亡くなり弔問に訪ねた。
約一年前の彼女は笑顔でカレリアンピーラッカ(米を潰して木の葉状にしたスナック菓子)を作って振舞ってくれた。
急に胃を患いそんなにやせずに亡くなったと言う。
黒々とした針葉樹の下の埋葬、ガラーンと鳴り響く教会の鐘の音の中、たむける花束を持ちながら母の死を思い出した。

二十一歳の夏、私は伊豆の海に遊んだ。
宿屋の姉さんに弁当を作ってもらい毎日のように通った浜辺の木造の漁師小屋、 銀灰色に風雨にさらされて生ける物の変わりゆく姿、 ぼろ雑巾のような色と木肌の小屋に、妙にいとしい美しさを感じた。
その漁師小屋をスケッチした。
私がわび、さびを感じ、そして見た最初の意識した風景であった。
帰りの栃木駅からの砂利道は真昼日で白く眩しく静まりかえっていた。
家業の旅館の家の中はほの暗く、「お帰りなさい」と言う長火鉢の前の母はいつもより小さく見えた。
それから直ぐに私の母は亡くなった。
ふくよかな胸元の母はいつも和服を着ている人であった。

埋葬が終わりホテルでの所在無さにアルという製材係りの青年が来てくれ、彼の持つサマーコテージに連れて行ってくれた。
夜十時を過ぎても外は白夜でまだ明るい。
モーターボウトでヤースヤルビ湖を走ったが、途中エンジンの故障のため櫂でこいだ。
景色は水鳥の視線で少しずつ映り変わる。
鴨になったかのような気分だ。
薄暮の森はどこまでも深く、空の際は朝方のようで天頂に向かい深海を思わせる群青の急激なグラデーション。
小一時間もこいだ、回りは太古の葦の沼に変わり、鳥のさえずりと顔をなでる風が心地よい。
一昨日は会社のデスクにいて今は果てしなく遠い極北の地を漂っている自分が不思議な気がした。

彼の指さす方向を見ると水面に突き出た岩と森の間にいくつかの小屋が見える。
森に生い茂る小さな薄紫の花々と彼の奥さんが出迎えてくれた。
すぐに母屋から水辺を五十歩ほどの所にある小さなログハウスのサウナ小屋に案内された。
身体を暖めると彼は銀杏色の洗濯石鹸で頭まで洗ってくれた。
ありがたくて、忘れていた心の恥ずかしさに、妙に心が沈む。
彼の後に続いて石鹸のまま水に飛び込んだ。温まっては飛び込んだ。それを何回も繰り返した。
母屋に戻るとポチャーポチャー、霧の中から子供がボウトで帰って来る。
堅いライ麦パンにチーズ、ぬるいビールを出され電気が来ていないことに気付く。
冷蔵庫も水道もなく夜はランプで三週間もいるらしい。
彼女は白いブロンドのまつ毛を震わせ笑いながら、 「あと十日、家に帰らなくちゃならないの、ずーっと三人でここに暮らしたいの。」と言う。
彼らが帰る家というのは、十数軒かの深い森と森の間の静かな静かな集落なのである。

明け方、眠っている美しい少年に別れを告げボウトに乗った。
振り返るとすでに霧は晴れ、立ち枯れ材で造られた丸太小屋が銀灰色に輝いていた。

遠い記憶の伊豆、あの漁師小屋を思った。


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