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ログハウス,会長解剖
ログハウス,会長解剖

 

舞踏家Sさんは自己の踊りをちっぽけな存在という、使命の大きさを自らに課す謙虚な人である。
仕事でも芸術でも事の重大さや奥深さを知ってそれに立ち向かおうとする人は成し得ようとする事の大きさからちっぽけに小さく見えるのである。
そして一様に真正面にきちんと向いて正座しているのである。
それは、とむらいで見送られる死人の神々しさに似ている。

上演が終わって少ない会話をした時じっと目を見るとすーと流れでる涙は、Sさんの背負う十字架の大きさを感じるのである。
Sさんはそんな数少ない人に思える。

ここまで書くと自分も自然に涙が出とまらないのである。

S様

先日の舞踏 楽しく見せていただきました。
よいと思います。

小寒い日でしたが舞台ではひたひたと足の指の筋などキーンとなりませんでしたでしょうか。
幽玄で静かで冷たい舞台にそれだけで私 凡夫には凄まじく感動でした。

月1回1年間 創作舞踏を自ら造りそしてソロでの上演、実に偉いと思います。
そうそう数ヶ月前の県文センターの舞台もSさん群を抜いて光って見えました。

今回のSさんソロの踊りとなると、Sさんの踊りを見たくなります。
見させていただき、よいと思うのですが。
できればSさんにだけしかできない踊りをとことん見たいような気がします。

「何か、なんでも一言」 感想をメールでということでしたのですこし感じたことを送ります。

私、クラシックバレーや古典日本舞踊、ヒップホップやレゲトンなど踊りという踊りをわけ隔てなく興味を持って見るのですが、人の所作というのはそれだけでいいですよね。

犬のぬいぐるみはそれまでですが、あの微妙に予測のつかない生きている犬の動きはそのままでかけがえの無い素晴らしいものです。
何十万円もするロボットの動きから比べると生きている犬は何百億円の舞踏体です。
奇妙な排泄からあくびまでします。
実に手の込んだ微妙な動きや声まで出します。
私達も、です。

今回のほの暗い明かり、舞踏の始まりの歩きは心をざわざわ~とさせ感動でした。
意表をつく舞踏の感動は心をときめかせ沸かせますよね。

何年も前のこと仕事の旅先 フィンランドでのことですが、
そう思うと意表をつく感動をハプニングというのでしょうか。
たまの休みの日曜、小雪のヘルシンキに戻り、ホイヨス二エメンティエの先の鉛色に鈍く光る海岸のカラスタヤトッロッパに泊まった時のことです。
そこのホテルには大きな円柱状の年代物の木造レストランがあって、アトリウム建築の先駆け、空間が吹き抜けになっています。

綺麗な骨と肉が一体になっているような冬空の低い太陽からの光線がよく入る北欧らしい建物です。
昼下がりの2階の席でウェイターにワインを開けてもらいシイカという魚のソテーを食し、酒が弱いものですからOFFですっかりほっとして、ついついまどろんでいると、突如、吹き抜けの下のフロアで純白のウエディングドレスをなびかせ、新婚カップルが風に吹かれてやって来たかのように踊りながら入って来たのです。
そこここで拍手がわき起こりました。

その時流れているミュージックがサティーのジュテーブ(あなたが好き)、冬日の北欧の松葉の匂い、暖かい陽だまりの心に残るシーンです。

今回観客席から手を膝に置いて心構えして舞踏の始まりを待っていたのですが、思いのほかの意表をつく、歩きの始まり、予測し得ないところに感動は倍加させるのでしょうか。
なんて、なんとも観客は傍観者で身勝手で天邪鬼(あまのじゃく)です。

「何か、なんでも一言」 でしたから、身勝手ですが。

そうそう、なにもないプリムティブな歩みから始まりいいないいなと思って見ていたのですが途中、西洋クラシック的な伸びやかな体の美しいラインの綺麗さがちょっと見えたりして、それが構成の一つなのでしょうか。
そういう決めは無くても、、、そういう形を見たいのならクラシックバレーで飽きるほど楽しめます。
前衛舞踏の創作にぞっこん力を入れるのであれば、既成の観念的な舞踊舞踏の形はなくとも、、どうなのでしょうか。
既成の舞踊の様式や見慣れた形があってはならぬと思うのです。
それとも基本に西洋舞踏の素養下地がないと駄目なのでしょうか。
それがないと舞踏界では出鱈目と言われるのでしょうか。

私にはそれがかえって邪魔に見えてくるのです。

地球上に西洋クラシック的な素養が全くない民族舞踏は山程あります。
それぞれの世界に、国の宝的な舞踏家がいるはずです。
Sさんが目指す踊りは我々の文明のそれ以前の以降の在る無しの人として土俗の土着の根源的な動きのあるいは既成や型や形態を排除した革新の無意味とも思える前衛の舞踏にあるような気がするのです。

そのような舞踏の中でアカデミックな美しい動き、この動き私にもできるのよ、基礎もしっかり出来ているのよみたいな既成の形を見てしまうと、見ることの集中と興味を一変に冷ますような気がするのです。

ドガは友人達に会うたびに新作の絵を見せ「自分の絵になっているか」といつもいつも同じことを尋ねたという。

体が手足が伸びきらなくとも、農耕でねじ曲がった節くれの肉体であってもそのメッセージの表現鍛錬によって感動が伝わり素晴らしい舞踏があるような気がするのです。

伝統舞踊を継承したり、新しい時代の発展的な伝統舞踊を工夫するわけもなくポピュラーなエンターテイメントでもなくSさんが目指すことは前衛ですので先端で尖がったり、変幻で自由自在で魑魅魍魎で、もう大変、まさに生きているそのもの、いいですよねこの聖域。

なんだか身勝手にすみません。
先日の舞台の後のSさんの涙がよく解ります。
でもやりがいがありますよね、Sさん。

Sさんの舞踏は素晴らしいと思います。そのような気がするのです。
Sさんの情熱ですから、 もう全くよく見せようとする必要はないと思うのです。

クリスマスの前の公演また見せてください。
今度ログハウスれすとらんのこだわりの蕎麦がありますので杉並木を飲みながら新しい年の7年の舞踏、希望の話を聞かせてください。
寒い季節、心まで凍えそうになりますが足の先からどうぞ暖められて時おり是非是非、ご自身にご褒美とご自愛ください。
今度の公演また楽しみです。

冬草堂閑Q斎こと須田和男

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